上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 公表は避けておりましたが、会社員になってから約1ヶ月半が過ぎました。
忙しい会社なので、時間が過ぎていくのがあっと言う間でした。
ほんと、入社したのが数日前の様に感じます。

 学びながら覚える仕事も沢山あるし、勿論今までやってきた物作りの分野でも学びの連続です。

 師匠と崇めたくなる先輩職人の仕事を見て、「せめてこの人の爪先くらいまでには成長したい。」と思う毎日です。
物を作る人間として、本能的にわかってしまうんです、努力しても絶対に同じにはなれない人だって事を。
だからと言って、開き直ったり諦めたりする事はしたくありません。

 既に一度諦めている人間ですからね、もう一度諦めたらアホだって言われちゃいます。
まあ一部では既に言われてるんでしょうが、直接言われてないから気にしませんw
意外にも、多数の方からお世辞であっても祝福の言葉を戴けるのがありがたいですね。

 嫌な事があっても、言うなれば石の上にも一万年、クビにならない限りはここに骨を埋めるつもりで頑張ります。


 あ、楽器は引き続き趣味レベルで作りますよ。
今後もよろしくお願いいたします。
スポンサーサイト
 覚せい剤、怖いですね。
別にファンでもなんでもないんですが、とある番組で渦中の人が、「やってません」とキッパリ言い切ったのを見てホッとしたのも束の間、結局はやってましたっていう落ちでしたね;;


 さて、年々増え続けるこの問題、なぜ手を出してしまうんだろうと考えてみた。
そりゃあ人間だもの、長所だけをクローズアップして自分にとって良い物だと判断してしまうんだろうけど、それに伴うリスクってのを知ってても手を出すってどうしてなのでしょうね?
もしかしてリスクってのをほとんど知らずにやっちまうんじゃないのかな。

 そのように思ったのも、複数の番組で共通して言っているある言葉を聞いてからだ。
どの番組でも、「弱さ」という表現で片付けてしまってるんですよね。

 「弱いから手を出す。」

 「弱いから断ち切れない。」

 もしもだよ、メディアを通して医学的にもきちんと皆が薬のことを理解していれば、それでも高いリスクを抱えてまでやってみようと思う人っているんだろうか?

 「弱さ」と一言で片付けるのではなく、

 「一度でも使ったら本人の意志とは関係なく、血中の薬の成分が消えてくると脳がそれを求めて体に変調をきたし死ぬよりも酷い苦痛を味わうため、どんなに強い人でも断ち切ることが出来なくなるし、仮に断ち切ろうとしても社会的な人間らしい生活は出来なくなります。」

 と言われたら、試しに一度だけやってみようって人も減るんじゃないかって思うんだよね。
強い人間は勿論のこと、弱い人間なら尚のこと怖くて手を出さなくなるんじゃなかろうか?
だってそうでしょ、「俺は強いから試しに首つってみてもきっと大丈夫だ。」って思う人はいないでしょ?


 簡単な言葉で「意志の問題」として片付けるのではなく、「そういう問題じゃないから恐ろしい」って事をもっと伝えていくべきなんじゃないかなと思った数日間でした。



 追伸:
 この話題に反応したのは別に関係あるからじゃないし、ポン中を擁護するつもりもない。
ただ一つ、この報道を見てて、「もしも将来タバコが麻薬指定されて、喫煙が刑に値するような世の中が来ちゃったらどうしよう。」と考えてしまったからです。
その点では私もお察しの通りニコチン依存症だからです。

 学生の頃、大人の真似をするのがかっこよく見えていたずら程度にタバコを吸っていました。
親には見つかる度にそりゃーもうこっぴどく怒られたもんです。
恐らくその頃はまだ「依存症」ではなかったと思います。
だってかっこつける為だけに吸ってるだけで、吸わなくても全然平気でしたもん。

 思えばうちの両親も、「意志が弱いから吸うのを止めれない」と口癖のように言ってましたね。
ちなみに家族でタバコ吸うのは俺と姉だけでした。
きっと吸ったこともなく、当然依存したこともないからわからなかったんでしょうね。
巷で言われてる簡単な言葉「意志が弱い」ということしか知らなかったんでしょうね。
それを鵜呑みにしてた自分もまた、意志が強ければ簡単に止めれるって思ってました。
なので吸い続けた結果、止めれない体になってしまいました。


 数年前、タバコの値上がりを機に止めようとしたことがありました。

 最初の1週間はイライラしっぱなしでしたが、とりあえずニコレットを噛みながらしのぎました。

 その後はニコレットで摂取したニコチンがあるうちは快調でしたが、効き目が無くなると目眩がするので横になってる時間が増えました。

 ニコレットを採りすぎるのはニコチン依存を悪化させるらしいので、ニコレットも徐々に減らしていきました。
数時間置きに来るイライラと目眩とだるさとの戦いです。

 禁煙開始から約1ヶ月半、体に明らかな変調をきたしました。
毎朝元気過ぎて扱いに困っていた暴れん棒がダウンしました。
何をやっても起き上がることがなくなりました。
今にして思えば、それが禁断症状だったんでしょうね、血中のニコチンが無くなってしまい、脳からの神経伝達が遮断されてしまったんでしょうね。
ついでに手足もしびれてくるし、正に社会的生活が不可能なレベルですよ。

 試しに禁煙解除したらすぐに直ったよw
依存症は治らなかったってことだよねぇ;;

 こうなるのを最初から判ってたら、臆病な俺ならきっと吸うのを止めてたんだろうと思う。
親のせいにするつもりは毛頭無いけど、でももし当時の両親がニコチン依存の恐ろしさを知ってたら、きっと俺にそれを話してたんじゃないかと思うんだ。
それでも吸う奴は吸うけどね、でも吸わない選択の確率は上がってたんじゃないかと思う。

 知らない人に知ってる人が正しく伝え、それが次々に広まって皆が正しい知識を得ることって重要なことなんだと思う。
意志の強い弱いに関係無く、脳が覚えてしまったものは止めるのも苦痛を伴うってことを前もって判らせなきゃって思う。


 俺の息子はそんな俺を間近で見てるから、冗談でもタバコは吸わないって言ってるよ。
タバコ禁止になったら俺は廃人確定だな;;
 世間は国民的アイドルの話題で持ちきりだ。
どっちが良くてどっちが悪いとか、どっちが賢くてどっちが馬鹿なのか、その他もろもろの話題が飛び交ってます。
その情報の中からどう取捨選択するかは受け取り手の自由ですね。

 そこで、世間のお祭り騒ぎとはまったく別の切り口で俺なりに思った事を書いておきたい。
俺の基本スタンスでもあるからね。


 人間は恩も恨みもちゃんと記憶してしまう生き物なんです。
そして自分にとって心地よく思えない権力には抗いたくなる。
抗うのは当人の勝手だと思うのだが、そこで考えて欲しいのです。

 権力ってのは、何もせずに寝て起きると次の日には勝手に備わる物なのかな?
そもそも権力って、どんな相手に通用する力なのかな?
権力に従う人って、全員が全員嫌々仕方なしって思う人しかいないのかな?

 きっと違います。
半分は嫌々なんだろうけど、半数以上の人は、従ってあげたくて従ってるんじゃないでしょうか。

 権力を持ってる人ってさ、人一倍苦労してきた人だと思うし、人一倍他人を助けてきた人なんじゃないかと思うよ。
その苦労や人助けの結果が権力として表れてるんじゃないのかな。


 ある組織で、リーダーのAさんと、絶大な権力を持ったNO2のBさんが居たとする。
そのBさんは、人一倍苦労して、人一倍Aさんを助けてきた人だと思うよ。
一番苦しい時に支えてくれたBさんに対して、Aさんは感謝してもし切れないだろうよ。
特に苦しくない時とは感謝の仕方ってのも違うと思うよ?
それを恩と感じてるからこそ、AさんはBさんを特別扱いすると思うんだ。

 だからBさんが権力を持ってる組織ってのは、同時に人一倍受けた恩を大事に出来るAさんというリーダーが居る組織だって事だと思うんだよね。(AさんとBさんを色々なものに置き換えてみてください。)

 そうして築き上げられた絆の間に割って入る事なんて余程の事が無いと出来るもんじゃない。
仮にどちらかが使い物にならなくなったとしても一度出来上がった絆はそうそう簡単には壊れない。

 そんな権力を認められないなら今後一切関わらない覚悟で逃げ出せばいいと思う。
権力を認めたくない、かつ関わらない覚悟も無いのなら、権力の裏側にある人間の「感謝する心」ってのを見つめなおしてみるといいんじゃないかな。


 小さい組織だと夫婦、大きい組織だと仕事関係、どんな人同士の関わりにもそれはあるんじゃないかと思います。
金では買えない何かがあるんでしょうねきっと。
 今年もよろしくお願いします。
体を壊さず乗り切りたいものです。

 さて、新年と言えば毎年恒例成人式。

 あのねぇ

 もう成人式止めたら?w

 各自治体で色々都合もあるんだろうけど、もうこうなりゃ事件起こさせたくてあえて開催してるようにしか見えんわ。
成人したことを各々の身内で祝ってやればそれでいいじゃん。
某記事にも書いてたけど呉服屋の都合??知らんわそんなの。
傷害事件まで起きてるのにまだ言うか?

 もちろん事件起こした奴を庇うつもりはない。
でもまともじゃない何かが起こるのを判っていながら実行するってのもどうよ?

 若者も懲りないけど年寄りも懲りないよねぇw


 何はともあれ今年も頑張ります。
 我が家のズッコケ担当の甘えん坊セキセイインコの美夏が昨晩旅立ちました。
我が家に来てから10年、セキセイインコとしては長生きだと思います。

 一度目の半身麻痺から奇跡的に復活したので、もしかしたらこの先数年共に暮らせるんじゃないかとも思いましたが、二度目の発作が起きてしまい、どんどん衰弱していくのを見て、覚悟は決めておりました。

 ずっと一緒だった家族が逝ってしまうのを見るのは辛過ぎることですが、それでも美夏を親孝行だと思えるのは、俺と妻が2人揃うまで頑張って生きていてくれたことと、最後は妻の手に包まれて旅立ったことです。
辛そうにしている美夏に、
「もう頑張らなくてもいいよ。本当にありがとう。」
と、声をかけて頭を撫でた約1分後に息を引き取りました。
本当に最後まで聞き分けのいい子でした。


 思えば10年という時間は長いようであっと言う間でした。
俺たちの中では、美夏はまだ連れてきたばかりの頃の子供だったんですからね。
されど10年、色々なことがあり、共に生きてきた時間は確実に糧になってるんですね。
本当に長い間お疲れ様でした。


 美夏、本当にありがとう。
君と過ごした日々を一生忘れない。

| ホーム |


 ホーム  »次のページ


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。